昔から絵を描くのが好きだった

 昨日妙ちくりんなイラストをアップしたが、私は昔から絵を描くのが好きだった。

 先日、「プレバト」というTV番組で、絵心ある数人の芸能人が見事な水彩画を競い、水彩画家の野村重存さんに評価されているのを見ながら、遙か昔のことになってしまったが、小学生の時の図画の授業のことを思いだしていた。

 私は、小学4・5年生の頃に手塚治虫赤塚不二夫藤子不二雄(当時はAとFに別れていなかった)の漫画を真似てノートや時に教科書の端っこに落書きしていた。取り立てて上手いということはないのであるが、友達に見せて喜んでいた。

 そして、将来は漫画家になりたいと漠然と思っていた。大人になったら、トキワ荘というアパートに行ってみたいと思っていた。そこには、手塚治虫や赤塚不二夫や藤子不二雄が居ると当時から知っていた。ま、大人になった時には、漫画家の彼らはすでにそこに居ず、1980年代中頃にはトキワ荘も無くなってしまったのであるが。

 私は小学時代に父の仕事の都合で3度転校している。1・2年は大阪の今も住んでいる市内の小学校だった。3年生になる時に東京へ引っ越し、4年生になる直前に埼玉県の学校へ転校した。そして、6年生になった時に、1・2年生を過ごした元の小学校へ戻って来た。ようやく親しい友達ができる頃になっての転校は、子供心なりに辛いものがあった。

 小学5年の埼玉県での小学校の時、学校を出て近くの風景を写生する授業があった。私が描いたのは、田畑の向こうに見える一軒の家を描いたものだった。絵の具でせっせと描いていると、後ろから担任の先生が覗き込んで来て、「よく見てご覧。建物の影は全くの黒じゃないよ」と、影の描き方についてヒント的なことを教えてくれた。私は、黒の絵の具一色で影の部分を塗ろうとしていたのである。完成した絵は、自分では上手に描けたとは思わなかったが、先生はなかなか良く描けたと褒めて下さった。

 教室に戻って、皆の前で私の出来上がった絵を掲げて、「みんなもゲコゲコ(もちろんここは本名で)くんのような影の表現を手本にするように」というようなことを言って下さったのをかすかに覚えている。なんだか気恥ずかしかったが、嬉しくもあった。

 今思えば、おそらく全体的にはたいした絵でもなかったのに、その先生はどこか良い箇所をひとつでもと褒めて下さったのであろう。

 上述の通り私は、6年生の時に低学年を過ごした元の学校へ戻った。しかし、小学生最後の1年間は、私の六三三制の学校時代の中で最も面白くない1年だった。

 転校生が元からの生徒にいじめられるというのはあることかも知れぬが、どうも私は担任の先生に嫌われていたのではないだろうか(同級生は皆仲良くしてくれた)? 私もあの先生は嫌いだったからお互い様である。

 ある日、写生で描いた絵を先生に酷評されてしまったのである。その絵は、そりゃあ自分でもいつも通り上手いとは思っていなかったが、前の学校の先生に褒められたような影の塗り方で描いた絵だった。今度はどこか良い所をと褒められるどころか、何一つ良いところがないかのような酷い言葉が返って来ただけだった。別に褒められようとして描いた訳ではなかったが、すごく悲しかった。家に帰ってから泣きベソをかいたかも知れない(この記憶はないが)。それ以来、私は図画の授業が好きでなくなってしまった。落書きも含めて絵を描くこと自体も少なくなった。

 私は絵だけでなく、恥ずかしながら字が下手だ。習字の授業なんて、元々苦手だった。私の書いた字を見て、「何やこれは? 下手くそやなあ。添削しようないわ」と言われたこともあった。成績の良い子には、ニコニコと良いことばかり言う、強烈な依怙贔屓する先生であった。イヤな先生だった。

 3学期になった頃だと思うが、クラスの全員に将来の夢を書いて提出することがあった。私は他に夢というようなものが思い浮かばず、2・3年前から漠然と思っていた「漫画家」と書いて出した。その後に個人面談があって、先生は口調だけは優しく「漫画家ですか・・・。うーん、キミには無理だと思いますね」と言われた。まあ、私も是非とも漫画家になりたいというのではなかったし、単に憧れみたいなものだったし、漫画家への夢を捨てることに抵抗はなかった。それに、今となっては、簡単に漫画家などになれるものでもないし、苦労も多いだろうから、ならなくて良かったとは思う。しかし、あの時先生がたとえ無理だと思ったとしても、せめて「頑張ればなれるかも知れないね」というようなことでも言ってくれていたら、私の人生も変わっていたかもという気もする。あのセンコウ(よい子のみんなは、こんな言葉を使ってはダメですよ)がそんな言葉を私に言うはずもなかっただろうが。

 小学校を卒業してから同窓会などもあったが、私はあのセンコウ(また言ってしまったね)に会いたくなかったから一度も参加したことがない。もうその小学校も少子化の波に飲まれて、十数年前に廃校になってしまった。あのセンコウ(ダメだってば)はまだ存命かどうかは知らない。知りたくもない。どうでもいい。

 そう、どうでもいいような話を長々としてしまった。こんな話をここまで読まれた方には申し訳ない。

 最後に付け加えて置こう。私がパソコンを触りだしたきっかけのひとつには、パソコンで絵を描いたり、漫画を描いたりできることを知ったからである。小学生の頃に抱いていた思いが、パソコンを触っていて湧き上がって来たということだ。そして、今は閉じてしまった自分のホームページで描いたイラストや漫画を紹介もできた。しばらく途絶えていたパソコンでのお絵描きをボチボチ再開しようかと思って描いたのが昨日のイラストだ。まあ、相変わらず下手なものだから、あのセンコウ(もうええっちゅうねん)には評価されそうにないが・・・。


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