【訃報】野村克也さんが亡くなった

 「ノムさん」こと野村克也さんがお亡くなりになったと、今朝のTVニュースで知った。自宅の浴槽でぐったりしているのを家政婦さんが見つけ、その後病院に搬送されたが、死亡が確認された、とのこと。84歳だった。

 野村克也さんについては、私があれやこれやと述べる必要もないだろう。先ずは私の思い出から・・・。

 私が小学生の頃に父に連れられて今はもうない大阪球場へ行ったのが、生でプロ野球を見た最初だった。南海ホークス対西鉄ライオンズのダブルヘッダーだった。その両球団も今はない。もう遠い昔のことだ。

 その頃の私はプロ野球のことを十分に知ってはいなかった。しかし、南海ホークスの野村捕手のことは知っていた。上述の試合を観たその前年に野村捕手は三冠王を獲得したことも知っていた。ただ三冠王が何なのかは詳しく知らなかったが。

 その後、南海ホークスの監督と選手を兼任し、ジャイアンツと日本シリーズで対戦したことがあった。それは、私のような虎ファンには思い出したくもない(笑)、1973年のジャイアンツV9の最後の年だった。

 野村さんが、ヤクルト・スワローズの監督をされている時は、ホントにイヤなおっさんだった。1992年のシーズン終盤の甲子園で八木のさよならホームランになったであろう打球に抗議して判定が覆った試合は、今でも鮮明に覚えている。あの試合が勝利で終わっていれば、その年にタイガースは優勝していたはずだと言っても過言ではない。

 その野村さんが、スワローズの監督をやめた後、タイガースの監督に電撃的に就任が決定した時は驚いた。野村さんがタイガースの監督に相応しいとは、どうにも想像できなかったし、タイガースのフロントは何を考えているのだろうとさえ思った。

 それでも、その後のタイガースを取り巻く雰囲気はガラッと変わった。ノムさんがタイガースを優勝に導いてくれると誰もが信じているようだった。しかし、タイガースの野村監督時代の1999年から2001年までの3年間はずっと最下位だった。監督2年目だったか、5月くらいに一瞬首位に立ったことがあり、虎ファンたちは大いに盛り上がったが、本当に一瞬だった。(_ _) 「遠山→葛西→遠山」なんていう投手リレーで、野村さんらしい野球を見せてくれたこともあった。あんな野球を見せてくれる監督はもう現れないだろう。

 3年間最下位で沙知代夫人の脱税疑惑もあり、野村さんはタイガースから去った。しかし野村監督時代に獲得した赤星選手や藤本選手、野村さんの教えもあったのだろう、成長した矢野捕手や桧山選手の活躍で、野村さんのあとに監督になられた星野仙一さんの時(2003年)にリーグ優勝を果たすことになる。それはその次の岡田彰布監督時の優勝(2005年)にまで繋がったはずだ。

 私は、「野村克也さんが種を蒔き、星野仙一さんが花を咲かせ、岡田彰布さんで実がなった」と言ったことがある。野村さんがタイガースの監督になっていなかったら、ずっと暗黒時代が続いていたかも知れない。


 追記;上の言葉の続きがある。岡田さん以後の監督が、「誰が監督で」とはもう言わないが、「せっかく実までなったのに、枯らしてしまい、根っこまで引っこ抜いてしまった。再度植えたけど、なかなか育っていない」と。さあ、果たしてその後の矢野監督で再び花が咲くところまで行くだろうか? 楽しみではあるが・・・。


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